コレクションハイライト

雪舟

室町時代の画僧。備中(現在の岡山県)の生まれで、一説に赤浜(現在の総社市)の藤氏または小田氏の出といわれます。また、幼いときに涙でネズミ…の逸話が伝わる宝福寺に入ったと。少年期に都に上り、京都五山の東福寺から、相国寺に入り春林周藤の弟子となって知客(接客係)をつとめながら、画事を周文に学びます。1454年頃、周防の大内氏の庇護を受け、山口に下ります。遣明船に乗って明国へ渡ったのは1467年、記録係をつとめる中、本場中国の絵画や絵かきたち、そして自然に、直に触れる機会を得ます。1469年に帰国し、しばらく豊前豊後に滞在、大分では天開図画楼【てんかいとがろう】というアトリエをもうけます。応仁の乱が終わった1479年までには山口に入り、石見や美濃、駿河など日本各地に足を伸ばし、再び山口に戻ったのは1486年頃。没した年も場所も諸説で、1502年または1506年、益田または芳井、山口とされます。

拡大《四季山水図(春幅)》

雪舟

《四季山水図(春幅)》

室町時代 15世紀  絹本墨画淡彩

前景に描かれた木々を見ると、春にはピンク色の花をつけ、夏は青々と生いしげる葉を、秋は紅葉、そして、冬では地面に落ちた葉の上にも白い雪が舞い降りています。四季折々の彩りに気づき、改めて中央の山や、自然の中に身をゆだねる高士の姿に視線を移してみると、止まっているようで永遠に続いている時間や空間のようなものが感じられます。山水画で表現しようとしている世界です。この絵には署名や印章がないものの、古くより雪舟の筆と見なされてきました。狩野探幽や狩野安信による極め書きが、作品とともに伝わっています。雪舟というと涙でネズミの絵を描いたという逸話が伝わりますが、少年期に都に上り、京都五山の東福寺から相国寺へ、春林周藤の弟子となり、画事は周文に学びます。1454(享徳3)年頃、周防の大内氏の庇護を受け山口に下り、1467(応仁元)年、明に渡る機会を得ます。遣明団の記録係をつとめる中、本場中国の絵画や絵師、そして自然に、直に触れた雪舟でした。この絵は、そんな中国体験を経て制作されたと考えることもできるのですが、一方で雪舟が手本としたと思われる中国絵画の存在や、似た図様の作品などが見出され、中国体験をせずとも描き得たと考えることもできます。

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《四季山水図(春幅)》